サボりは1日にしてならず。

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【きーマガジン自己紹介】サボりは1日にしてならず

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毎日更新をしようとは思っているんだけど、予想以上にハードルが高い。続けられているブロガーはマジですごい。とはいえ、継続のおかげもあってかきーマガジンも徐々にPVが増えてきて、企業案件が来るのも時間の問題になってきた。今回はきーマガジンに訪れてくれた人が執筆者に興味を持ってくれた時のために生々しい俺の半生を語りたい。案件待ってます。

 

 

きーマガジンを書いている人のプロフィール

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そもそも1年以上ブログを続けているにも関わらず、俺の自己紹介がまだだった。ブログを立ち上げたら簡単に自己紹介をした方がいいって言われがちなんだけど、先人の声を無視しすぎ。

 

タイトルとペンネーム

まずブログタイトルは「きーマガジン」。開設当初もこの名前だったんだけど、3回も名前を変えて結局ここに帰ってきた。語呂もいいし、もうずっとこのままいくつもり。というか、ペンネームが「きー」だから「きーマガジン」。我ながら安直。

 

岐阜県の山生まれの山猿

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俺は1994年、平成6年生まれで、ぎりぎりゆとりを回避した世代で、円周率は3.14で習っている28歳(記事執筆当時)。47都道府県の中で一番、県名の漢字表記を忘れられがちな岐阜県民で、一応大学卒。大学卒業後、名古屋市に出稼ぎをしていて、今に至る。自分の稼ぎの少なさと知識の幅を広げるために現段階では副業でブロガーもしている。

 

きーマガジンの中の人の性格

俺は比較的山猿にしては幸運の持ち主だったと思うんだけど、幼少期は何不自由ない生活を送ることができた勝ち組。ぬくぬくと恵まれた環境で育つことができた。ただ、極度の恥ずかしがりと人間関係のせいで若干歪んだ性格になってしまった。プライドは無駄に高いくせに会話もまともにできないコミュ障。

 

人との交友関係は広げたいんだけど、人に全てを知られるのが嫌すぎるという自己開示もできない性格が災いして、交友関係はごく狭いものとなってしまった。今でもLINEは1日1回通知が来たらいい方で、通知が来たとしても企業からの広告だったりする。そのおかげでブログにも集中できているし、自分のやりたいことに全力で取り組むための体制は整っている。

 

理想と現実で右往左往した10代、20代前半

とはいえ、このままじゃダメだと一念発起したことはあって、高校生の時に陽キャになろうと努力をしたこともあるんだけど、根が陰キャな俺が陽キャなんて無理がありすぎた。努力の方向を間違えすぎて、陰キャの友達がめっちゃ増えた。不思議。陽キャとして振る舞っていたつもりが陰キャを引き寄せてしまったというわけ。多分、人間にも引力はあると思う。S極とN極的な。

 

ただ、ある時、あれ?結局陽キャになれてないんじゃね?と気づいてからは努力をすることをやめた。今は自然体。人は人、俺は俺。無理をして、自分を追い詰めることはやめた。

 

配られたカードで戦う方法を考え始めた20代後半

無理をするのはやめたんだけど、でも一定の憧れは捨てきれない。ただ、現実は残酷で配られたカードで戦うしかないっていう名言の通り、人生も全く同じ。自分が持っていないカードを手に入れる努力をすることをやめた。努力をし続けることはしんどいし、逆に今持っているカードを最大限活躍した方が自分のパフォーマンスは伸びるんじゃね?って思った。貴重な10代を無理して捨てているから俺にはわかる。

 

生き方を考えて、飛び込んだ職場が地獄だった

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よく好きなことを仕事にするとしんどいっていう人がいるんだけど、既にこじらせている俺は逆転の発想をすることにした。好きなことの中でも嫌いなものを仕事にしたらいいんじゃね?と。具体的に言えば、俺は音楽が好きだったから音楽業界で働くことを夢見てたんだけど、音楽もジャンルは様々。J-POPもあれば演歌もあるし、ヴァサノヴァとか民族音楽なんて選択肢もある。その中で俺は一番嫌いなアイドルの世界に飛び込んだんだ。裏方として。

 

結果は大失敗だった。嫌いなものを仕事にすれば、何をしてても人生が楽しくなるなんてことはないらしい。ただ、ひねくれている俺でも初志貫徹という大和魂は残ってたらしくて、働き始めたからには最期までやり通そうと当時は思っていた。ただ、激務すぎて身体を壊して結局退社をすることになったんだ。ちなみに退職しようかどうか考えている時に会社に行ったらもうすでに俺の席はなくなっていた。世の中に情なんてない。

 

その時に悟ったのが、自分で決めたことだからこそ、辞めるのも自由。生きることが最大の目的なんだから、生きる上でストレスになるものは極力排除したいということ。

 

だから俺はそれまでの人生観とかを捨てて、自分が楽をするための方法を模索するようにした。我慢すること、耐えることが未だに崇拝されている世の中だけど、嫌ならやめればいい。どうせ我慢したところで百害あって一利なし。

 

人生で影響を受けた人

この考えに至った理由は俺の身体がぶっ壊れた以外にもあって、俺の人生の中で出会った人に少なからず影響を受けているんだ。その人と別に仲がいいわけじゃないし、ましてや俺が影響を受けた人に名前をあげるだなんて夢にも思っていないだろうけど、俺にとっては今後の人生に作用する大きな出会いだったんだ。

 

1人目はアイドルのマネージャー時代の先輩。2人目は、前職の先輩、3人目はTwitterで知り合ったオタクで、全員が全員全くタイプが違うんだけど、全員に共通しているところがあって、その自由さに俺は憧れた。全員が生きることに対して自由に考えていて、責任とか社会通念とかに縛られていなかった。その大胆な生き方に俺は影響を受けて、人生真面目に我慢して生きるのって損だな、って思った。

 

普通なんて存在しない

物事のレールから外れた人を変だって排除したがるのが現代日本なんだけど、変っていうのは個性だし、そもそも普通ってなんなんだ。というもの、騒ぎ立てていればその人は騒がしい人として認知されてそれが普通ってレッテルを貼られて許される。誰が決めたわけでもない、漠然とした常識とかルールに縛られて普通という概念は存在している。そもそも100人に聞いて100人が同じ答えを答える質問がないように世の中の普通は疑ってかかるべき。なぜなら多数決の結果だから。

 

そのことに気づいてから他人の顔色を窺うことはやめたし、他人の常識に囚われて動くことをやめた。おかげで予想外とか斜め上、非常識な考えって言われるものを受け止める懐の深さを手に入れることができた。

 

無知だからこそ、探究する

狭い視野と固定観念での普通の押し付けは自分の幅を狭くする原因になってしまう。自分が無知だと自覚して、探究することで得られるものがあるんだけど、その上で指標はあった方がいい。指標があったら何事もプラスに働くから。

 

たかだか俺が思いつくようなオリジナリティなんてオリジナルですならない、絶対に他の誰かが思いつく。なぜなら平凡だから。平凡だからこそ、指標を設けて人の背中を追っかけ続けたほうがいい。というのが俺の持論。探求するとは言ったけど、基本的に先人の轍を踏むことしかしてない。でもそれでいい。理想を追い続けることで見えるものもある、と俺は勝手に思っている。

 

自分が第一

常識に囚われることをやめると今まで信じてたものが全て瓦解する。他人の言葉に耳を傾けることをやめた結果行き着いたのが、このきーマガジンなんだ。俺は俺。会社に勤めて一生を終えるなんてもう古いんじゃないかって思った結果がブログに流れ着いたわけなんだ。

 

他にも色々と手を出して失敗したり、成果が微妙だったりしたりしているんだけど、今のところ、きーマガジンは正解に近いんじゃないかって思っている。とはいえ、途中で違うなって思ったらやめることもあると思うけど。